名指導者・佐藤淳先生のもとで成長する部員たち

北海道旭川市の旭川明成高校吹奏楽部は、元旭川商業高校吹奏楽部の名指導者である佐藤淳先生が顧問に就任して2年目のまさに伸び盛りのバンドです。

1年目から日本管楽合奏コンテストで文部科学大臣賞・最優秀グランプリ賞(第1位)を獲得し、今年は北海道吹奏楽コンクール・A部門で創部以来初となる金賞を受賞しています。

そんな淳先生は、旭川商業時代から「部活ノート」を取り入れ、部員と先生とのコミュニケーションや、部員自身の練習の記録などに活用しています。

先日、1年生でサックスパートの川尻桃歌さんが綴ったノートが印象的だったということで、淳先生に見せていただきました。

川尻さんは、同じパートの仲間と一緒にピッチやアタック、音色などを合わせる練習を続けてきました。

そして、お互いに課題がどこにあるのか話し合い、「原因は息だって気づけた」と書いています。

大きなポイントはその後にありました。川尻さんはこう綴っています。

 音がはまったこともうれしかったけど、私は自分たちで色々話しながらやってみて、課題になっていることの原因を見つけられたことがうれしかった。

 誰かに言われるがままやるよりも、自分たちで探して見つけて気づいた方がよっぽど記憶に残るし、大切なことだと思った。

川尻桃歌さんが書いた部活ノート。ところどころ淳先生が赤字でコメントを書き入れている。

ポイントはこの「誰かに言われるがままやるよりも、自分たちで探して〜」の部分です。

部員たちが自らトライアル&エラーを繰り返し、自ら発見すること。自ら何らかの答えにたどり着き、また新たな課題を発見すること。そこには大きな成長や喜びがあり、音楽や部活動をやることの意義があります。

プロから教えてもらったほうが早いし、正確かもしれない。

けれど、自分たちで見つけたほうが楽しく、実があり、次へとつながる成長がある。人間関係も深まる。そんな大きな気づきがあります。

とかく「早く正解を欲しがる」と言われがちな現代の子どもたちが、こんなふうに自分たちで解答や課題を模索しているというのは、感動的ですらあります。

ひと言で言うなら、「自発性(あるいは、自主性)」です。

淳先生は、こういった内容の部活ノートが部員から(しかも1年生から!)提出されたことで、「気合いと根性バンドにはならない確信が持てるようになりました」は語っていました。そして、川尻さんのノートに赤線を引き、「すばらしい」と書き加えています。

教えられるだけでなく、自ら考え、つくり上げ、表現する「自発性」の音楽。「自発性」の部活動。

もしかしたら、これからの吹奏楽界のキーワードになっていくかもしれませんね。




佐藤淳先生の旭川商業高校最後の年に起こった「奇跡」!
オザワ部長が描くノンフィクションノベル

 2021年夏、名物顧問の佐藤淳先生率いる北海道旭川商業高校吹奏楽部(旭商)は、全日本吹奏楽コンクールへの切符をかけて勝負の全道大会に出場した。
 定年退職を目前に控えた淳先生と挑む最後のコンクールで、10年ぶりの全国大会出場を叶えることは、部員たちにとって悲願だった。それほど淳先生は部員たちに愛され、慕われてきた先生だったのだ。
 これまで数々の部員たちとぶつかり合い、涙を流し、送り出してきた淳先生。部活ノートやあだ名制度、親子制度など斬新なアイデアによって個性的な部活をつくり上げてきた。日本中の吹奏楽部で愛唱される合唱曲《夜明け》も、旭商の部員が先生のためにつくった曲だった。「商業高校」にもかかわらず、東京藝術大学に合格する部員もいた。淳先生は数え切れないほどの部員たちに影響を与え、その人生を変えてきたのだ。
 しかし、そんな淳先生の顧問生活も終わりを迎えようとしていた。
 淳先生との「最後のコンクール」を終えた旭商。全道大会からの帰路、待ちに待った吉報を受け取ったが、それは部員や先生をどん底に突き落とす悲劇の始まりだった。
 このまま終わるのか、と思われたとき、1本の電話が淳先生に届く。すべてはこのためにあったのかと思われるような「キセキ」が旭商を待っていた。
 そして、夢のステージで音楽を奏でる部員たちと淳先生の背中に翼が輝く——。

 オザワ部長が描く吹奏楽ノンフィクションノベル。【Kindle版あり】