学業やバイトと両立しながら磨いた力

写真/正木万博(Art Link)

去る2025年12月21日に第24回定期演奏会を開催した京都橘大学吹奏楽部(京都府)

私も初めて司会者としてご一緒しましたが、予想以上に素晴らしいバンドでした。

活動は週4回で、学業やアルバイト、ボランティア活動などと両立しているとのこと。

定期演奏会の前日に訪れた京都橘大学。立派な施設群でした。

練習時間の少なさゆえの大変さもあったと語っている部員さんもいたものの、私が立ち会った前日の練習ではしっかりした基礎力を持ち、それぞれが楽譜を頭と体にしみ込ませているのが感じられました。

それゆえに、フィリップ・スパーク作曲《宇宙の音楽》のような難曲を演奏する際にも、楽譜に視線が釘付けになることもなく、音楽監督・常任指揮者の葛城武周先生の指揮を見ながら、音符に肉付けされた表現を音に変えることができているように思えました。

ゲストの藤原功次郎さんとの練習風景。

部員の中にはマーチングで有名な京都橘高校、吹奏楽の強豪として知られる岡山学芸館高校・大阪桐蔭高校・富山商業高校、関西の名門である尼崎双星高校・近江高校・京都両洋高校などの出身者もいるものの、それぞれ吹奏楽への思いを抱いて各地のさまざまな高校から集まってきているとのこと。

高校時代に私が取材したことがある部員さんもいて、当時が懐かしく、また、その成長ぶりが嬉しくもありました。

4回生の思いが結実した《宇宙の音楽》

昨年度の部長で、経営学部4回生の伊藤秀平さん(サックス)は、前日の練習の際にこう語ってくれました(幹部は3年生が務める)。

「明日の定期演奏会は私たちにとって4年間の集大成。4回生は卒論や就活などとても忙しいのですが、同期のメンバーは一丸となってこの年末まで後輩たちを引っ張ってきてくれて、心から感謝しています。最後の最後まで、みんなと一緒に駆け抜けられる演奏会にしたいです」

伊藤秀平さん

伊藤さんは中学校や高校の吹奏楽部との違いをこう語ってくれました。

「中高よりも自主性を重んじ、各自がのびのびと、自分で考えながら練習できるのが大学かなと思います。日々の活動の中でも、演奏会などでも、大人として外部の方と対応していくことも求められますが、それによって成長できる面もあります」

伊藤さんたち4回生は、高校2年生のときにコロナ禍の直撃を受け、コンクールや演奏会の中止という悔しさを味わいました。部活動への思い入れがもっとも深くなる3年生のときもコロナの影響を受け続けました。

「その思いがあって、大学では精いっぱい部活を楽しみたかった。不安もありましたが、4年間活動してきて本当に楽しかったです」

定期演奏会では《宇宙の音楽》でソプラノサックスのソロを演奏します。「ドキドキしていますが、自信を持って演奏したい」と伊藤さんは語っていました。

写真/正木万博(Art Link)

翌日の定期演奏会本番では、岩井直溥作曲《イントロダクション・トゥ・ソウル・シンフォニー》から始まり、自由曲だった三澤慶作曲《ラ・メール 〜クロード・ドビュッシーのレミニサンス》、学生指揮者・金尾太雅さんの指揮による樽屋雅徳作曲《想ひ麗し浄瑠璃姫の雫》などを演奏。

スペシャルゲストは、トロンボーン奏者の藤原功次郎さん。
ニコライ・リムスキー=コルサコフ作曲《トロンボーン協奏曲》や藤原さん作曲の《約束》では、歌心に溢れた藤原さんのトロンボーンの音色とともに奏でられる喜びを部員たちは味わいました。

藤原功次郎さんとともに:写真/正木万博(Art Link)
私は司会者として藤原さんにインタビュー:写真/正木万博(Art Link)

そして、いよいよ《宇宙の音楽》。
大学からホルンを始めたという井上純一さんの見事なソロから始まった演奏は、大学生ならではのイマジネーションと、4回生のラストステージという熱い思いをエネルギーにしながら壮大な音楽の叙事詩を描いていきました。
伊藤さんのソプラノサックスソロも情感たっぷりで、曲の終盤では指揮する葛城先生も思わず涙がこぼれたといいます。

最後はルロイ・アンダーソン作曲《クリスマス・フェスティバル》で明るく華やかに締めくくり、第24回定期演奏会は幕を閉じました。

写真/正木万博(Art Link)

私自身、司会者として同じステージに立ちながら、とても温かな気持ちになることができました。また、ステージ以外のところでも部員のみなさんが細やかな心遣いをしてくれたおかげで、気持ちよく自分の役割を果たすことができました。目が合うたびにみなさんが笑顔で挨拶してくれたことも印象に残っています。

音楽をする上での熱意や素直さを持ち、礼儀や気配りも忘れず、学生として「学ぶ」姿勢を持ちながらも、一方では大人の自覚を持って振る舞う——。
京都橘大学吹奏楽部はそういったことがバランス良くできていました。

葛城先生の指導のもと、今後のさらなる発展を予感させるバンドでした。

私も司会の大役を果たしました