岐阜県で行われた大会前日練習

 重厚な音がホールに響く。56の真剣な瞳が楽譜と指揮の間を行き来する。鍛え上げてきた指先は迷いなく楽器のキーを操り、熱い息が力強い音になる――。

 2022年10月21日。全日本吹奏楽コンクール・中学校の部を翌日に控え、名門・羽村市立羽村第一中学校吹奏楽部は岐阜県にいた。「日本一の刃物のまち」として知られる関市の関市文化会館・大ホールで直前練習を行なっていたのだ。

岐阜県関市の関市文化会館。

 全国大会直前でピリピリした雰囲気か……と思いきや、ときおり指揮を務める顧問・玉寄勝治先生の冗談に笑い声が響くリラックスした雰囲気で練習は進んでいた。

 東京都西部の緑豊かな羽村市に位置する羽村一中。吹奏楽部は全国大会に14回出場する名門だ。玉寄先生が顧問に就任してから今年がちょうど10回目の全国大会出場で、うち金賞5回を誇る。

 だが、少子化やコロナ禍などのあおりを受けて部員数が減少し、昨年全国大会に出場したときは31人。今年はさらに減って28人となっていた。

 中学校の部は最大50人まで出場できるため、フルメンバーで挑む学校に対して56パーセント、半数強の人数ということになる。音のダイナミックさが大きな演奏効果を生む吹奏楽において、非常に不利な状況。

 それでも羽村一中は難関の東京都大会を突破し、代表の座をつかんだ。

玉寄勝治先生の指揮で合奏練習中の羽村一中。

 今年の全国大会で羽村一中が演奏するのは、課題曲《マーチ「ブルー・スプリング」》(鈴木雅史)と自由曲《交響的断章》(ヴァーツラフ・ネリベル)の2曲。

 28人でこの曲を演奏するにあたり、人数の少なさを補う工夫がされていた。

 全国大会前日の練習でも目についたのは、まず課題曲。なんとティンパニを担当する市川桃子さん(2年)がオーボエを兼任。ティンパニの後ろのスタンドにオーボエを置き、部分的にその場でオーボエを吹いていた。

「もともとはパーカッションパートです。オーボエは1年生のときに少し練習しましたが、本格的にやるようになって半年くらいです。好きなのは打楽器のほうですけど、今後は両方とも続けていきたいです」(市川さん)

ティンパニの位置でオーボエを吹く市川さん。

 なぜ打楽器奏者がオーボエを掛け持ちすることになったのか、玉寄先生はこう語る。

「去年のオーボエは3年生ひとりだけで、その子が卒業してしまうと新入生にオーボエを教えられる人がいなくなってしまうという状況でした。そこで、市川さんにオーボエの基本をいったん引き継いでもらい、新入生が入ってきたら市川さんから教えてもらう、という形にするつもりでいました。ところが、市川さんはオーボエが非常に上達しまして、打楽器も上手だったので、課題曲では両方やってもらいましょうということになったんです(笑)」

 一方、自由曲《交響的断章》では、クラリネットの杉山心美さん(3年)がE♭クラリネット、同じくクラリネットの石川美音さん(3年)がバスクラリネットを持ち替えで吹いていた。

「E♭クラはB♭クラ(一般的なクラリネット)より音域が高いんですけど、もともと高い音域が得意じゃなくて、音を当てる(=正しい音程で吹く)のが難しくて苦戦しています。明日は全国大会で自分も緊張しているんですけど、1、2年生を引っ張っていけるように頑張ります」(杉山さん)

「B♭クラとバスクラは、マウスピースの大きさも、息を吹き込むスピードも、管の太さも全然違うので、そこを吹き分けるのが難しいです。楽器が2つあると、準備で組み立てるのも、片付けで分解するのも時間がかかるので大変です」(石川さん)

指揮台に近い席のお二人が杉山さん(左)と石川さん。

 50人以上いる学校では、メンバー以外の部員が楽器の運搬を手伝うなど、サポート面でも有利になる。その点、羽村一中は全員が奏者であり、全員で準備や片付けを行う。一人ひとりにかかる負担も大きい。

 だが、部員たちの表情は明るかった。演奏ではうまくいかない箇所もあったが、過度にピリピリすることなく、適度な緊張感とともに練習は続いていった。

 なぜ今年の羽村一中は少人数ながら、このような雰囲気で全国大会前の時間を過ごせていたのだろうか?

安定と信頼の新たな関係

 前日練習が終わった後、ホールの楽屋で玉寄先生に話を聞いた。

「落ち着いていて良い状態だと思います。今年の部員はあまりそわそわしない、真面目な子たち。演奏でも後ろ向きな感じに全然ならない。コロナ禍が長く続きましたが、ようやく少しずつ緩和されてきて、以前の日常の良い部分が戻ってきている感じです。笑顔がよく見られ、笑い声も聞こえてきました」

 以前から羽村一中の前日練習はこのような雰囲気だったのだろうか?

「いえいえ、私は鬼のように怒っていました(笑)。変わったのは今年からです。今年のメンバーにそうさせられました。憎めないというか。こんな心境になったのも、こんな前日を迎えられているのも初めてのことで、私自身、『穏やかにやれている。変われたな』と驚いているところもあります(笑)」

部員減少やコロナ禍を経て指導者として新境地を拓いた玉寄先生。

 この変化には、やはりコロナ禍というものが大きかったと玉寄先生は語る。

「苦しんでいる子どもたちに対する感情はありましたね。『若いのに、こんなに大変な思いをしている』と。それに『これまで、もっと優しく指導できたんじゃないか』という後悔もありましたし、少子化で子どもが減っているなら指導者も含めてみんなで親バカになるべきじゃないかとも考えました。厳しさもあっていいですが、まずは愛情と楽しさと寛容が大切なのではないかと」

 今回の前日練習では、曲を演奏しているときに先生が何度も止めて細かく指導や指示をするというシーンがあまり見られなかった。これも珍しいことではないかと思い、先生に尋ねてみた。

「苛立ちがないとスムーズに進むんです。気持ちが安定していると、ちょっとしたミスなどがあっても『まぁ、次は大丈夫だろう』と考えられますし、実際にそのとおりになるんです。結果的に、いちいち止めて修正するのではなく、曲全体の練習を積み重ねていかれます。それと、人数が少ないことによって一人ひとりを指導する時間が多くなり、子どもたちとの信頼関係も深まりましたし、個の力を伸ばすことができました。それが人数が少なくても音楽全体が良い、雰囲気も良いという理由かなと思います」

全国大会前日にもかかわらずリラックスした明るい雰囲気が漂っていた。

 全国的に部員数が減少傾向にある中学校の吹奏楽部。そんな中、羽村一中と玉寄先生は少人数の吹奏楽部の新たなあり方や可能性を切り拓き、それが他校にとっても希望になるのではないか――。

 そんな印象を抱く前日練習だった。

 部長を務める渡辺誠二くん(3年・チューバ)は落ち着いた口調でこう語った。

「去年より仕上がっていて、悔いのない練習ができました。緊張感より楽しみたい気持ちのほうが強いです。この人数でネリベルのサウンドを客席に届けたいです」

指で「1」を示す羽村一中ポーズ。「一中」の「1」であり、「日本一」の「1」でもある。

 その後、羽村一中はホールから貸切バスに乗り込み、宿泊先の名古屋駅付近のホテルに向けて移動した。

 車中では、玉寄先生のオリジナルの音感教育法「ひろせま」(※詳しくは『吹奏楽新時代の指導メソッド』参照)を、先生の弾くキーボードに合わせて歌ったり、手拍子を入れながら《マーチ「ブルー・スプリング」》を歌ったり……と、移動時間も無駄にせずに過ごしていた(「バス練」と呼ぶそうだ)。

東京からの移動、関市でのホール練習を経ても、まだまだ元気な東京の中学生!
手を上下に動かしながら手拍子でリズムをとり、歌を歌う羽村一中の「バス練」。

 午後8時すぎ、ホテルに到着した羽村一中は、翌朝の練習場所であるホテル1階の結婚式場(天井にはシャンデリア!)をチェックし、ミーティングをして解散となった。寝坊しないため、大きな音が出る目覚まし時計を持参してきている部員もいたが、最後まで「明日は全国大会だ!」という気負いは感じられなかった。

 そして、本番の朝を迎えた。

いざセンチュリーホールへ!

 10月21日、全日本吹奏楽コンクール・中学校の部の当日は秋晴れになった。

 中学校の部、高等学校の部は前半の部と後半の部に分けて15校ずつが出場する。

 羽村一中は前半の部の5番と出演順が早く、予定では午前8時19分に会場で搬入開始、10時4分からステージに出て演奏を行うことになっていた。

 そのため、部員たちは早朝から結婚式場に集まって最後の練習を重ねた。

 本番を目前に控えても玉寄先生の口調が厳しくなることはなく、落ち着いた雰囲気は前日から変わっていなかった。部員たちの表情には適度な緊張感があったが、決して硬くはない。

ホテルの結婚式場で早朝からリハーサル。

 《交響的断章》の練習では中低音楽器の重々しさと高音楽器の鋭さが混じり合い、羽村一中らしい厚みのある響きが室内に満ちていた。

 演奏が終わった後、ステージ上でどう立ち上がるのか、目線はどこへ向けるのかといった確認もされていた(演奏には直接関係のないことだし、審査結果にも関係ないが、ステージ上で行われるすべてのことはひと通り確認し、理解しておくことが落ち着いた本番のためには重要だ)。

壁の装飾が豪華! 音の反響対策では少し苦労する空間だった。
半年ちょっと前までは小学生だった中1も交え、全員が集中力の高い演奏を披露していた。

 午前7時30分ごろ、羽村一中はバスに乗り、ホテルを出発した。

 もちろん、車内では「バス練」だ。玉寄先生の弾くキーボードの音に合わせた「ひろせま」から始まり、課題曲・自由曲のテンポに合わせた手拍子と歌の練習。

 やがて、車窓に白く巨大な名古屋国際会議場の建物が見えてくる。「吹奏楽の聖地」だ。すると、玉寄先生が伴奏を弾き、羽村一中の校歌の合唱が始まる。

「決戦の場所にやってきた」という空気がグッと高まった。

名古屋国際会議場。中庭の奥に見えるのが「幻のスフォルツァ騎馬像」。
名古屋国際会議場の駐車場に到着した羽村一中。

 駐車場でバスを降りると、巨大な白い騎馬像(幻のスフォルツァ騎馬像)が屹立する中庭を通り、受付へ向かう。周囲には観客や関係者が集まっており、全国大会ならではの高揚感が漂っていた。

 次期部長に決まっている小杉山優瞳さん(2年・ホルン)がこう語ってくれた。

「今まで努力してきたことや、玉寄先生が教えてくださったことを全力で発揮できるよう頑張りたいと思います。緊張感はないです。まわりも気にならないです」

中央が小杉山さん。

 受付が終わり、羽村一中は予定時間より10分ほど早く中へ入った。イベントホールと呼ばれる広い体育館のようなスペースで楽器を準備し、音出しなどをするのだ。

 イベントホールには他校の姿もあった。すぐ隣で足踏みしながらの合奏が始まると、さすがに羽村一中の部員たちも気になる様子だった。無数の楽器の音が反響し、集中力が削がれそうになる。

受付を済ませ、イベントホールへと向かう羽村一中。

 部長の渡辺くんと次期部長の小杉山さんは部員たちの姿に目を配り、不安になっている者がいないかなどを確認した。特に1年生は初めての全国大会ということもあってキョロキョロしたりはしていたが、状況に呑まれている感じではなかった。少しずつイベントホールの様子にも慣れていったのだろう。

 その後、羽村一中も楽器を準備して音出しをし、9時19分にチューニング室へ。最後の調整をした。もう、あとは演奏をするのみだ。

午前10時4分――いよいよ羽村一中の28人はセンチュリーホールのステージに出た。

センチュリーホールの入り口。記念すべき第70回の全国大会の看板があった。

 直前に出場した松本市立鎌田中学校は50人。28人の羽村一中は、巨大なホールの中で明らかに小さな存在だった。

『プログラム5番。東京都代表、都中学校、羽村市立羽村第一中学校。課題曲IIに続きまして、ネリベル作曲《交響的断章》。指揮は玉寄勝治です』

 アナウンスが響き、玉寄先生がお辞儀をすると、客席から拍手が響いた。

 先生がゆっくりと指揮台に上がり、両手を胸の前に持ってくると、東京からやってきた28人の中学生がサッと楽器を構える。

 12分間の演奏の幕開けだ。

「吹奏楽の聖地」を包み込む重厚な音楽

 華々しいファンファーレとともに、課題曲《マーチ「ブルー・スプリング」》の演奏が始まった。音色は明るく、乱れのない出だしだった。

 しかし、どれだけ持ち替えをしても、28人から50人分の音は出せない。全国大会ともなれば、50人バンドの音圧は相当なもので、羽村一中の人数の少なさが際立ってしまう。

 だが、課題曲の演奏が進むに従って、徐々に雰囲気が変わっていった。人数が少ないからこその統一感が観客の心をつかみ始めたのだ。個々が努力して高めてきた技術が澄み切ったサウンドを生み出していた。

 打楽器とオーボエを兼ねる市川さんも、2つの楽器を見事に奏でていた。

 課題曲が終わると、続いては自由曲《交響的断章》だ。衝撃的な出だしから曲が始まると、緊迫感が緩まることなく続いていく。一気に羽村一中の音楽が持つ世界が会場に広がり、包み込んだ。

 一人ひとりの楽器から放たれる音は豊かな倍音を含み、人数以上の響きとなる。曲中でそれぞれの奏者、それぞれのパートが入れ替わりで主役を務める。ネリベルがつくり上げた重厚な音楽が見事に表現され、もはやそこにいるのがたった28人の中学生であることを忘れさせた。

 そこには、かつて50人で出場していたときに勝るとも劣らない「羽村一サウンド」が出現していた。

 演奏が終わると、コロナ禍を挟んで3年ぶりに一般客を入れた会場から大きな拍手が巻き起こった。少人数バンドの健闘というよりも、純粋にその音楽、その演奏への賞賛の拍手だった。

全国大会のステージで演奏を終えた後、騎馬像の前で記念撮影。

 本番を終えてセンチュリーホールを出た羽村一中は、楽器運搬などのサポートをしてくれた卒業生に、声を合わせて「ありがとうございました!」と挨拶した。やはりプレッシャーから解放されたのか、部員たちの表情は明るくなっていた。

 玉寄先生は本番の演奏についてこう語った。

「とっても良い演奏だったと思います。今朝までミスが出ていたんですけど、『良いバンドは苦手なものやミスを補い合うんだ』という話をしたところ、まさに本番でミスはあってもその後に良いプレイが重なっていき、微笑ましく演奏を終えることができました」

 部長の渡辺くんはこんな感想を口にした。

「ミスはあったんですが、最後の2小節はしっかり決められてよかったです。僕自身、緊張はしていましたが、だからといっていつもどおりの演奏ができないということはなかったです。去年の全国大会はやりきれないところも感じたんですけど、今年は2回目ですっきりした気持ちで終われました」

 後は、前半の部15校すべての演奏が終わり、表彰式で審査結果が出るのを待つだけだった。

名古屋国際会議場の中庭でお弁当タイム。プレッシャーから解放され、食欲もモリモリ!?

28人の挑戦にブラボーを

 全国大会の表彰式がホール内で観客を入れて行われるのも3年ぶりだった。各校から代表者2名と指揮者が登壇し、1校ずつ審査結果が発表されていく。

『プログラム5番、羽村市立羽村第一中学校……銀賞』

 そんなアナウンスが響くと、会場にうっすらとため息のようなムードが広がった。檀上では玉寄先生が指揮者賞を受け取り、部長の渡辺くんが表彰状を、小杉山さんがトロフィーを受け取った。

 表彰式を終え、ホールを出た羽村一中は騎馬像が鎮座する中庭に集合した。目に涙を浮かべている部員も少なくなかった。

 玉寄先生から、金賞まであと一歩だったことを伝えられると、さらに涙が流れた。

「講評は、いちばん厳しいことを書いてある内容を覚えておいて、今後に活かすことが大事です」

 玉寄先生がそう告げると、「はい」と部員たちは返事をした。決して大きな声ではなかったが、しっかりした返事だった。

 全国大会ですべてが終わったわけではない。ここから始まることもたくさんある。まだ高められることもある。そう気づいたのだろう。

 その後、東京から駆けつけた保護者や先生方に「ありがとうございました」と挨拶をすると、大きな拍手で健闘を讃えられ、部員たちの表情にもわずかながら笑みが戻ってきた。

保護者や関係者から大きな拍手をもらい、少し明るさが戻ってきた。

 会場を後にする直前、部長の渡辺くんが心境を語ってくれた。

「金賞まであと一歩という悔しさもあるんですけど、ここで演奏できたことが嬉しいです。(全国大会のステージ上で表彰を受けるのは初めてだが)『どんな賞になっても感謝の気持ちを持つように』と玉寄先生に言われていたので、結果が出たときも感情は顔に表さないようにしていました。この経験や思いは(引退までに)1、2年生に伝えていきたいですし、自分自身も今後に活かしていきたいです」

 担当楽器のチューバのように、最後までどっしりと構えて揺らぐことのなく、立派にリーダーとしての役割を果たした渡辺くんだった。

 玉寄先生にも話を聞いた。

「結果は水ものですが、努力したものが出せましたし、演奏も清々しい印象でした。ステージでの表彰式は、やっぱり良いですね。出場者も、観客も、皆さんそう思われたんじゃないかと思います。(表彰式の最後に、会場いっぱいに拍手が広がったのは)会場の皆さんから祝福を受けたように感じました。今日、この場所で素晴らしい出場校とともに同じステージに立って演奏した経験を、今度は地元で還元できるようにしていかれればと思っています」

 こうして羽村市立羽村第一中学校吹奏楽部の2022年の全国大会への挑戦は終わった。

 全国大会金賞という目標には届かず、悔し涙の味を知った。

 しかし、厚みと深みのある《交響的断章》を奏でた28人の東京の中学生の姿、その音楽は、多くの人の心に焼き付けられたに違いない。

 コロナ禍が3年も続き、特に3年生は入部当初からずっと思うような活動ができずに歯がゆい思いもしてきたことだろう。そんな中、少人数であれだけの演奏ができたことは賞賛に値する。

 感染症対策で、今年もホール内での歓声は禁止となっていた。だが、今ここで伝えたい。

「羽村一中、ブラボー!」と――。

「羽一再響 輝く道へ共に進め」というスローガンも達成されたのではないだろうか。



★感動の吹奏楽コンクール物語★