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名物顧問が起こした変化
北海道を代表する名門バンドのひとつ、北海道旭川商業高校吹奏楽部(北海道旭川市)を30年間率いてきた佐藤淳先生。
同部を全日本吹奏楽コンクールに5回導き、金賞も2回受賞しています。
周囲から親しみを込めて「淳先生」と呼ばれ、独特の指導法とエネルギッシュな言動は「熱血先生」「名物顧問」という呼称がぴったり。また、テレビや新聞などにも多数取り上げられてきました。
オザワ部長もこれまで『吹部ノート③』(KKベストセラーズ)で2017年度の旭川商業の歩みを描き、『吹奏楽新時代の指導メソッド』(学研プラス)では淳先生の指導法を伝え、そして、『旭川商業高校吹奏楽部のキセキ 熱血先生と部員たちの「夜明け」』(学研プラス)では淳先生が定年退職を控えた最後の1年に起こった奇跡を小説として執筆しました。
そして、淳先生は2022年度から同じ旭川市内の私立高校、旭川明成高校吹奏楽部の顧問に就任。
昨年まで長くC編成(25人までの小編成部門)で吹奏楽コンクールに出場していた旭川明成の部員数は43人。決して多いとは言えない規模で、3年生もわずか7人でしたが、淳先生は「A部門に出て、全道大会(北海道吹奏楽コンクール)行くぞ」と宣言しました。
そして、その言葉どおり、創部以来初のA部門での全道大会出場を果たしたのです。
当初は不信と不安を抱いていた部員たちが、淳先生の言葉や指導に少しずつ心を開ていったこと、吹奏楽コンクールの旭川支部大会で先生の古巣の旭川商業(橋本一歩先生が指導)とともに代表に選ばれたことは、朝日新聞デジタル連載記事「My 吹部 Seasons」で描きました。
この記事の最後は、こう結んでいます。
まだまだ自分たちは発展途上のバンドだ。だが、目の前には無限の「伸びしろ」がある。それは、もしかしたら次の「奇跡」に続いているかもしれない。
まさにこの先に「奇跡」が待っていたのでした。
部長までが感染で欠場……
地区大会を突破した旭川明成は、8月25日に札幌で行われる全道大会を目指して練習を続けていました。
全道大会には、全国大会常連校である東海大学付属札幌高校をはじめ、札幌日本大学高校、遠軽高校、札幌白石高校……など名門バンドが多数集まります。
全国大会に出場できる代表2校はもちろん、金賞を受賞するのも難しい大会に、顧問が変わって約5カ月の旭川明成は挑もうとしていました。
ところが、大事な全道大会の約1週間前、部員のひとりが新型コロナウイルスに感染。
大会の前々日まで、全部員が自宅待機となってしまいました。
さらに複数の部員が発症し、部内をまとめていた部長の髙橋愛加さんまでが陽性となってしまったのです。愛加さんはクラリネットパートのトップ奏者でもありました。
もともと部員が少ない旭川明成は、合計18人の全道大会不参加が確定。残りはわずか25人となってしまいました。A部門の参加上限である55人の半分以下です。
パートで見ると、フルートやトロンボーン、チューバは各1名のみ。バリトンサックスとファゴット、スネアドラムはプレイヤーがゼロになってしまいました。
特に、低音楽器はチューバとバスクラの2本だけです。
課題曲は鈴木英史作曲《ジェネシス》、自由曲はヴァーツラフ・ネリベル作曲《アンティフォナーレ》。演奏が成立するのか、曲が最後までつながるのか心配になる人数です。
3年生で参加できるのは4人だけ。演奏面でもエースだった部長も不在。
旭川明成にとっては絶体絶命のピンチでした。
しかし、淳先生は諦めませんでした。
練習は大会前日と当日しかありませんでしたが、25人での参加を決断したのです。銅賞も覚悟の上でした。
部長の愛加さんは病床から淳先生にこんなメッセージを送りました。
こんにちは!
体調は熱も下がってきてて体も昨日よりだるくないし、だんだん良くなってきてます!
口ももう大丈夫だと思います!
まさか自分がコロナになるなんて思ってなくて、病院から検査結果の電話が来て、陽性と伝えられたときは本当に悔しかったです。
昨日まで元気だったのにどうして。どうして愛加がコロナに……ってめっちゃ思いました。
全道に向けて頑張ってたのに、なんでコロナになってしまったんだろう。コロナになってしまったことで全部壊されて、本当に悔しかったです。
後輩たちや同級生に全道で輝いてほしい……そう心から思いました。
最後の大会出れないのは悔しいけど、残ったメンバーの子たちに楽しく演奏してもらえるだけで私の心は救われるなって思い、たくさん応援しようと決めました。
愛加さんたち今年の高校3年生は、入学する直前からコロナ禍が始まり、高校生活がすっぽりその中に覆われてしまった世代です。
高1ではコンクールが中止になり、多くのコンサートやイベントも中止になりました。
高2ではコンクールは復活したものの、部活動への制限は続いたままでした。
そして、高校生活最後の今年のコンクール。「ここにすべてをかけよう!」と思っていた人も多かったことでしょう。ところが、新型コロナウイルスの第7波が到来。メンバーが欠けた状態での出場を余儀なくされたバンドもあれば、出場辞退を決めたバンドもありました。
いずれにせよ、愛加さんたちを含め、最後のコンクールに出られなかった高校3年生の気持ちは「ショック」「悔しい」といった言葉では表せないものがあったことでしょう。
参加できない部員たちからの応援動画を力に
8月25日、全道大会当日。
25人で、たった2日間の練習で旭川明成はステージに立つことになりました。
当日の朝、自宅待機中の部長の愛加さんから淳先生にメッセージが届きました。
じゅん先生おはようございます
今日は出たくて出たくて仕方がなかった全道大会当日ですね。
昨日の(動画で見せてもらった練習時の)人の少なさはびっくりしちゃいました‼️
ショックだっただろうなーってすごく思います。
それなのに、笑顔で私たちの心配までしてくれて、動画撮ってくれて、本当に嬉しかったし、なにより元気が出ました!
そして、気持ちだけでも、全道に参加してるみんなと同じになれてすごい嬉しいです!
今日は応援しかできないけど、ほんとに応援しています。
そして、愛加さんは全道大会に参加できなかったメンバーで作った応援メッセージ動画を淳先生に送ったのです。
それはこのようなものでした。
淳先生が顧問になってからの5カ月間の思い。
3年生にとっては、入部してからずっと積み重ねてきた思い。
そして、欠場を余儀なくされた部員たちの思い。悔しさややりきれなさ。
それらを背負って、淳先生と25人の部員たちは全道大会のステージに立ちました。
審査の結果は……なんと銀賞!
それも、金賞まであとわずかという高評価を受けました。これは「奇跡」と言ってもいいかもしれません。
出場した部員はもちろん、欠場した部員も含めて、大きな壁を乗り越えた旭川明成。その経験は、コンクールの賞の色では測れないものがあったことでしょう。
「幻の全道大会」でゴールド金賞を!
全道大会の翌日、淳先生は部員たちにこんなメッセージを送りました。
みんなの演奏が耳から離れません。素晴らしい12分でした。
春からいろいろあったね。
4月、課題曲はどっち? 両方なんて出来るの? 《アンティフォナーレ》なんてできるの?って思ったこともあったでしょ?
春合宿で初めて《アンティフォナーレ》を通せたよね。
高文連(高文連音楽発表大会上川支部)では創部以来初の最優秀賞。コンクールまでの道のりはとても順調に思えた。だが、試練はそこからいろいろとあったよね。
みんな諦めなかったから旭川地区代表になれた。これは偶然なんかじゃない。奇跡でもない。紛れもなく、あなたたちがやったんだよ。
正直、8月18日のホール練習では、このとおりに本番を演奏できれば全道金賞も夢じゃない、というところまで来ていたと思ってたの。
翌日から23日まで(部活停止期間)は色々な意味で長かった。残ったメンバーでどんな構成に変えていくかを日々悩んだよ。たった1日の大会前の練習で果たしてできるのかも……。
でも、諦めるという選択肢は最後までなかったの。
最後は賞の色ではなく、「留守番隊(欠場した部員)と心を一つにして奏でる」だったよ。
あの状態でよく昨日のような演奏ができたな。
すごいぞ。
たった25名のA編成。でもな、みんなの心はステージに乗ってたよ。
みんなで勝ち取った、とても価値のある「銀賞」だよ。胸を張りなさい。凛としなさい。そして、謙虚でいなさい。
25人で奏でたんじゃない。留守番隊も、パーカス搬入を手伝ってくれたOG、スタッフ、そして保護者の協力あってのこと。
(中略)
お疲れ様。そして、ありがとう。
あなたたち、最高です!
愛加さんほか、欠場した部員たちにも朗報が届きました。
高文連で上川支部代表に選ばれ、10月に高文連の全道大会に出場することは決まっていましたが、前日のホール練習の場所を探したところ、なんとコンクールの全道大会が行われた札幌コンサートホールKitaraが空いていたのです。
淳先生はその日、Kitaraで43人全員で改めて「幻の全道大会」を行うことに決めました。
旭川商業時代にも、コンクールがなくなった2020年にKitaraで「幻の全道大会」を行いました。2021年には愛知工業大学名電高校吹奏楽部に招かれて、名古屋国際会議場センチュリーホールでジョイントコンサートという形で「幻の全国大会」を実現しました。
そして、2022年、旭川明成で「幻の全道大会」を開催するのです。
出場校は、もちろん1校だけ。ライバル校も審査員も一般客もいません。
それでも、目指すは43人でのゴールド金賞! 自分たちで「いまの演奏は最高だった。金賞に値するものだった」と認められる《ジェネシス》と《アンティフォナーレ》を奏でることです。
それはきっと、さまざまな思いがこもった演奏、8月25日の全道大会に勝るとも劣らない意味のあるステージになることでしょう。
淳先生の顧問就任1年目からドラマが続いている旭川明成高校吹奏楽部。今後、ますます注目の存在となっていきそうです。