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書籍「あるある吹奏楽部の逆襲!」で対談した思い出も
いま、吹奏楽界でもっとも愛されている言っても過言ではない名曲《宝島》、そして、こちらも大人気の曲《オーメンズ・オブ・ラブ》を作曲した和泉宏隆さんが、4月26日、急性心不全で逝去されました。
享年62歳。
まだまだ名曲、名演が期待されるお年でしたが、とても悲しく、残念なことです。
《宝島》も《オーメンズ・オブ・ラブ》も、和泉宏隆さんが日本を代表するインストゥルメンタルバンド「T-SQUARE(2曲の発表当時はザ・スクエア)」の楽曲で、故・真島俊夫先生によるアレンジで吹奏楽の大ヒット曲になりました。
中には、この2曲がもともと吹奏楽のために書かれたものだと思い込んでいる人がいるほど、多くの人に愛され、浸透している定番曲と言っていいでしょう。
2020年にオザワ部長も出演(と企画にも参加)したNHK Eテレ「沼にハマってきいてみた」の「吹奏楽沼」でリモート合奏する曲を選ぶ際にアンケートを行ったところ、ダントツで第1位だったのが《宝島》でした。
さて、オザワ部長が和泉さんに初めてお会いしたのは、2017年に書籍『あるある吹奏楽部の逆襲!』(新紀元社)を執筆したとき。書籍の中で和泉宏隆さんとの対談を掲載したいと考え、オファーしました。
場所は、東京・新大久保の管楽器専門店ダクの地下のスペースDo。
「あの和泉宏隆さんをお迎えする!」ということでオザワ部長も非常に緊張していたのですが、登場された和泉さんはとてもにこやかで、一気に緊張が和らぎました。
その後、撮影のセッティングをする間に少し待ち時間があったのですが、和泉さんはおもむろにステージ上に置かれていたピアノの前に座り、「ピアノがあると、とりあえず弾かずにはいられないんですよね。これ、スタインウェイ(のピアノ)じゃないですか」とソロで演奏を始められました。
その演奏の美しさに聴き惚れてしまい、「このままずっと聴いていたい」と思ってしまいました。そして、「いったい自分はなんて役得なんだろう!」と。
その後に行われた対談では、《宝島》《オーメンズ・オブ・ラブ》の作曲の秘密、吹奏楽版になった2曲への想い、真島先生との思い出などをユーモアたっぷりに語っていただきました。
和泉さんは東京の都心部に生まれ育ち、慶應義塾高校から慶應義塾大学法学部へ進まれた非常にインテリジェントな方。言葉の端々にウィットが感じられたのも印象に残っています。服装や身のこなしには都会的なセンスが感じられ、一言で言うとダンディでした。
対談後、オザワ部長の「ブラボーポーズ」もおもしろがってやっていただけたのがとても光栄でした。
吹奏楽スーパーバンドフェスティバルでの感動の演奏
そんな和泉さんと再会したのは2020年10月。
オザワ部長が仮面女子・月野もあちゃんとともに司会を務めた吹奏楽イベント「吹奏楽スーパーバンドフェスティバル2020・東日本大会」でした。
和泉さんはゲストとして出演され、羽村市立羽村第一中学校吹奏楽部と《宝島》を、埼玉県立伊奈学園総合高校吹奏楽部と《オーメンズ・オブ・ラブ》を演奏されました。
《宝島》では後半にピアノならではの爽快感あふれるソロを、《オーメンズ・オブ・ラブ》では吹奏楽版にはない冒頭部分での詩情に満ちたソロを楽しませてくださいました。
「音楽とはこうやって奏でるもの、表現とはこうやって伝えるもの」というのを、出演した吹奏楽部員たちに演奏を通じて教えてくださったようにも思えました。
本番前、和泉さんと楽屋でステージでのトークの打ち合わせを行いました。そして、「一緒に記念写真を撮っていただけますか」とお願いしたところ、「いまは正装じゃないし、本番前だから、本番が終わった後のほうがいい」とのことでした。
そして、本番、2曲とも演奏前にステージでトークをさせていただき、対談のときとはまた違った貴重なエピソードをお聞きすることができました。
▼吹奏楽スーパーバンドフェスティバル2020の模様は「Tutti」で配信中▼https://www.tuttimusic.co.jp
しかし、オザワ部長は本番中も本番後もバタバタと慌ただしく、気づいたときにはもう和泉さんはお帰りになっていました。
結局、記念撮影はできないままで、それが和泉さんとお会いした最後の機会になってしまいました。
いま、なんとも言えない喪失感にとらわれています。
もはや和泉さんの新曲を聴くことも、それが吹奏楽にアレンジされて我々が演奏することもできません。
しかし、《宝島》や《オーメンズ・オブ・ラブ》をはじめ、和泉さんが生み出してきた音楽はこれからも我々を楽しませてくれるでしょうし、吹奏楽界でも愛され続けていくことでしょう。
そこに和泉さんが生き続けている……。
心から和泉宏隆さんのご冥福をお祈りします。